フリー・ガイ【千文字レビュー】

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『フリー・ガイ』、これが意外と今年のダーク・ホースかもしれない。

ゲームの世界が舞台でライアン・レイノルズがそのNPC(モブキャラ)を演じる。企画を聞いただけで、ある程度おもしろいんだろうとは予想がつく。でも、ありがちな話だし、ヒットはあってもホームランはないだろうとたかを括っていた。

しかし、見た人の口コミは好評が多く、熱量も高い。

 それで急遽、優先順位を入れ替えて見に行ってきた。


なるほど確かにコイツはおもしろい!

それでいて、どこか安心感と懐かしさも感じたのだった。

 

『フリー・ガイ』の良さを表すには「ウェルメイド」というのが合っているかもしれない。この語には「良い」だけでなく「昔ながらの/古典的な」というニュアンスも含まれる。つまり、この映画はオーソドックスによく出来ている上に、その「良い映画」という佇まい自体に懐かしさを覚える。

しかも、その「懐かしさ」の出所はそれほど古くはない。時代で言えば90年代。インターネットが登場し、その可能性が今よりずっと漠然で、開けていた時代だ。

『フリー・ガイ』から漂う香りは、そんな90年代に作られた映画たちによく似ている。

 

 

題材としているのは、オンライン上で繰り広げられるバトル・ロイヤル系ゲームという、いかにも2020年らしいものだ。ただし、その先進性はあくまでカモフラージュでしかない。主眼として描かれるのは「自分の存在自体が足元から揺らぐ感覚」であり、「現実だと思っていた世界がフェイクの仮想現実だった」という物語だ。

そしてそのテーマは、『ゼイリブ』『マトリックス』『トゥルーマン・ショー』らの先例の名前とともに「90年代的な映画」と認識してしまうのだ。

 

今の時代、そんな「90年代的ウェルメイドさ」は不思議な安心感を与えてくれる。

マーベル映画や『レディ・プレイヤー・1』のような小ネタとイースターエッグの応酬も楽しいが、そういう映画ばかりで食傷気味でもある。そんな時に『フリー・ガイ』のような映画は胃に優しく、心置きなく楽しめる。

 

同時にそのバランスはショーン・レヴィ監督の作家性とも言えるだろう。

彼はSFやファンタジーを題材にしながら、その内実はオーソドックスで直球なエンタメ映画を作り続けてきた。そんな「今っぽい題材をカモフラージュにして古き良き物語を語る」というレヴィの作家性が『フリー・ガイ』をきっかけに再評価の兆しが見えれば嬉しい限りだ。