【千文字】マトリックス レザリクションズ - 乗り気じゃない続編をそれでもなぜ創ったか

 

※多少のネタバレを含むので鑑賞後を推奨します。

 

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そもそも「18年も月日が過ぎた今、マトリックスの続きを作る必要があるのか?」という疑問があった。その答えは「NO」だ。わざわざ大金かけてまで作る必要はなかっただろう。

 

だが、この『レザリクションズ』は一風変わった標本としてとても興味深い。

筆者は、その点においてこの作品をとても気に入っているのだ。

 

この作品の珍奇さは、まず創造主たるラナ・ウォシャウスキーがあまり乗り気じゃないという点から生じている。ネオ・トリニティ・モーフィアスたちの物語はトリロジーで綺麗に完結しているし、その続編が無用の長物だと一番自覚しているのはラナ・ウォシャウスキーなのだ。そういった意味では、むしろ信頼できる作り手だと言えるだろう。

 

だが彼女がやはり突出した作り手であるのは、その感情も組み込んだ上で続編を仕上げてしまう部分にこそある。前半で繰り広げられるメタ構造の現実は、愛がないし破壊的にすら見えるだろう。だが彼女にとっては、続編を作るために絶対に必要なプロセスなのだ。劇中で語られるようにマトリックスは当時の状況や感情を全て託したものなのだから。

彼女にとっては自分の感情に嘘をついた続編は『マトリックス』ではないのだ。

しかし、乗り気ではないことも含めて自分の心に従った作品であれば、それは『マトリックス』となりうる。この考え方が面白い。

 

そんな奇妙な構造から『レザリクションズ』はラナ・ウォシャウスキーが「マトリックスとはなんだったのか」を再び思索する旅路としてみることができる。

そんな中で、前半では現在の状況が描かれ、後半では物語の核心に迫っていくわけだが、そこで「トリニティについて」が中心となるのはまさに「我が意を得たり!」といった感じだ。

 

かねてから『マトリックス』はトリニティを中心として見ることで話がわかりやすくなると主張してきた。実はネオを「The One」と承認したのも、救世主の中でも特別な「Anomaly of Anomaly(変異体の中の変異体)」へと変化する契機を与えたのも全てトリニティであり、ネオは彼女と愛し合ったからこそ特別な存在になれた。つまりトリニティは、ネオと同等かそれ以上に重要な役割を担っている。

 

マトリックス』の本質に最も近い存在はトリニティなんじゃないか?

そんな「トリニティの物語」を描くためなら続編を作る価値があるのでは?

ラナ・ウォシャウスキーはそう判断した。120%同意である。 ←Just 1000