【千文字】GUNDA / グンダ - 躍動する生命、人工的な画面。牧場という条件付きのユートピア

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母ブタ グンダと、その子供たち。この作品は牧場で暮らす彼女たち親子の生活を、一切のナレーションもなし、モノクロームの映像だけで紡いでいく。

映像と音だけに全てを託すストイックさがありながら、振り返れば全てが緻密に計算されていたのだということもわかってくる強固な構成。そして、なにより「豚の生活」というありふれた題材で、生命とは、社会とは、生とは死とは、までこうも雄弁に語ることができるのかということに感動してしまった。

このヴィクトル・コサコフスキーという監督、只者じゃない。

 

もちろん写し出される映像にはグンダたちの「生の躍動」が溢れんばかりに切り取られている。画面を走り回る子ブタたちと、それを見守る母の視線それだけで動物ドキュメンタリーとして強度は十分だ。

それを文句なしに美しいモノクロームの映像で撮影されている。とにかく美しい。

 

そう、少しこの作品は美しすぎる。

 

劇映画のように流麗なカメラワーク、自然光の位置もバッチリ決まっている。

緻密な計画のもと、豚たちに指示を与えてその通りに動いてもらっているのではないかと疑いたくなるほど、画面が決まりすぎている。そこに重なるモノクロームの画面がそんな印象をさらに強める。豚たちの生命は紛れもない本物のはずなのに、脳裏によぎるのはむしろ「人工的で、制御された」という印象だ。

そうすると、それまで気に求めていなかった電気柵や、耳につけられたタグが気になりだす。

 

そこで私は、はじめて「牧場」というものを意識した。それまでは、グンダたちが生きている場所を外敵もいない、母と子だけが幸せに生きられる箱庭のように思っていたのだ。しかし、そこは「牧場」であり、そのユートピアは管理という「条件付き」だ。

そして「牧場」というシステムには目的があり、その代償は唐突で一方的にやってくる。

 

なんと素晴らしく、残酷なラストカットだろう!

それまで人工的だった画面はそこでついに崩壊する。計算された流麗なカメラワークではグンダの姿は追いきれなくなり、手ぶれやピントのずれなども含む、言ってしまえばドキュメンタリー然とした映像へと変貌する。そうして浮かび上がるのは、これまで入念に隠してきた「カメラの後ろには人がいる」という事実だ。

そしてグンダははっきりとカメラの向こうの人間を睨みつける。それは作り手であり、私たちだ。その目に読み取れるのは怒りや絶望、はたまた私たち自身の姿だろうか。← Just1000